nothing even matters

日々のあれこれ、書きたいこと

見た目についての話をしよう

 

私は、太っている。

 

 

もともとビッグベビーとして生まれ(3,500グラム超え!)、 小さい頃からぷくぷくまるっこい子どもだった。

 

手首の肉付きがよく、腕をつくと曲げたところに線が入る。

指が太いから指輪は嫌い。

手の甲には骨や血管も浮き出ておらず、 手のひらを広げると手の甲側の指の付け根の下がえくぼのようにへ こむ。

さいころ、近所のおばさんに「 こんなところにえくぼがあってかわいいわね」 と言われたのが恥ずかしくて、 大人になった今でも自分の手が好きではない。

 

 

もちろん手だけではない。

 

 

立派な太もものせいで、 スキニージーンズは似合わない。

たくましい腕のせいで、 ノースリーブのカットソーを着るのは恥ずかしい。

ぽっこりお腹のせいで、 タイトなワンピースを着ると妊婦さんに間違えられかねない。

 

 

でも、それが私だ。

少なくとも、今の私だ。

 

 

 

8月に日本に帰っていたとき、こんな出来事があった。

 

白いノースリーブのカットソーに、 スキニージーンズ(わたしの場合はスキニーとは程遠いが)という姿で電車に乗っていた私の前に若い女の子 2人組。

それまで楽しそうに話していた2組の目が、こちらを向いた。

そして、それまで普通に話していた2人が、こそこそ話を始めた。 こちらをちらちら見ながら。

 

被害妄想だ、と言われればそれまでだ。

会話が聞こえたわけではないのだから。

 

でも、ああ、これはもしや、 あの体型でよくあんな格好できるよね、 とでも言われているのかもしれない、と感じた。

(女の子たちは若さに溢れ、健康的に肌を露出をしていて、 それがとてもよく似合っていた。)

 

一度そう思うとその場にいるのがいたたまれなくなったけれど、自分が降りる駅までなに食わぬ顔で耐えた。

女の子たちは、私が降りる一つ前の駅で降りていった。

 

そんなことは言われなくても自分が一番わかっているのだ。

この格好はわたしには似合っていない。

でも、 その日はその白いノースリーブのカットソーとスキニージーンズという格好がしたかったのだ。

 

日本は世界で有数の肥満の少ない国だ。

だから、太っていることに対する世間の目は厳しい。

 

彼女たちにとっても、私に悪意を向けたというよりは、ごく当たり前の反応をしたまでなのかもしれない。

 

 

私だってこんな自分が大好きなわけでもないし、 現状に満足しているわけではない。

 

 

でも、それが私だ。

少なくとも、今の私だ。

 

 

私がそれを受け入れなくてどうする。

受け入れて、自分を見つめ直して、そして、変わるのだ。

筋トレして、痩せて、スキニージーンズが似合う私に生まれ変わるのだ。

 

 

と言いながら、なかなか変われずにいるのだから、 目も当てられないのだけど。